ghost

ものわすれがひどいのと文章の練習とおたく

悪夢とホラーと柳の木

眠るのが大好きだ。昔から好きだったと思うけれど、最近は特に好きだ。気持ちよくシーツの上で微睡む瞬間と、それが許される時間があるという贅沢。夢を見るのが嫌いな人っているだろうか。悪夢ばっかりなら辛いかもしれないけれど、不思議な世界に連れて行ってくれる夢を見るのがわたしは好き。

忘れられない夢っていうのがいくつかあると思う。幼い頃何度も見た悪夢とか。幼稚園から小学校の低学年くらいにかけて見た何度も何度も見た悪夢のことを、今でもきちんと思い出せる。

ある日、わたしは母と近くの銭湯を訪れる。家のお風呂が壊れたとかなんとかで、家族で女性はわたしの母だけだから二人きり。その銭湯というのは、普通の銭湯を思わせる建物でなく、ボロい二階建てのアパート。夜なので、怪しい緑のライトの中にあって、わたしは母と手を繋ぎながらそのアパートに入ることに既に怯えている。各部屋ごとに趣向が違うお風呂があるということで、わたしは緑の湯に母はオレンジの湯に行くと言って、分かれる。緑の湯といっても、風呂場は普通の家庭にあるタイル張りのお風呂だ。というか、そこはわたしの実家のお風呂そのものだった。夢の中でその矛盾はちっとも不思議なことでないのがまた面白い。緑のお湯はその名の通り緑色、バスクリンの緑。ライトも緑でひどくおどろおどろしい雰囲気だ。何よりもおそろしいのは、床一面にいる蛇。タイル張りの床の上をうじゃうじゃと何匹もの蛇が動いていて、足の踏み場はなく、とても入れる雰囲気ではない。無論、幼いわたしは扉を開けた瞬間に固まって震えている。そして更に怖いのが、バスタブの蓋の上に乗って動いている乳幼児サイズのキューピー人形である。これは実際にわたしの実家にあったもので、わたしは確かに昔からそれが怖かった。おそらく潜在的に怖いと思っていたのが夢に具現化して、何度も同じ悪夢を繰り返すせいで、悪循環してしまったのだと思う。夢の中でそのお風呂に入れるわけもないわたしは、泣きながら必死で母のもとへ走る。怖い助けてという思いと、あとここはとても危ないから母を連れて逃げなくてはならないと子供ながらに強く思っていた。オレンジの湯はさっきの家のお風呂とは違って、石造りの大きなお風呂だったと思う。引き戸を開けた瞬間、驚くべきことにその湯に浸かりながら、母は石になって固まっているのだ。

夢はここでぷつんと終わる。もしかしたら続きがあったのかもしれないけれど、覚えているのはここまでだ。

蛇が出てきたり、人が石になるというのは、おそらくわたしがどこかでメデューサの話を読んだからだと思う。きっと、図書室によく置いてある子供が読む怖い話シリーズの本のせいだ。怖がりのくせにそういうシリーズはよく読んだ。ただ、大人になってからはホラーを読んだり観たりすることはなくなった。ある時、何かのエッセイで『心霊現象の話が苦手な友人がいるが、普段はちっとも暗闇や物音なんかに怯えることはないらしい。なぜならホラー映画やテレビ番組など、そういう要素を生活から一切断っているから、そういう想像がしにくいらしい』というのを読んで、なるほどと思ったからだ。そういう意味では子供の頃より、ずっと臆病になったのかもしれない。今でもお化け屋敷に入ることはないし、ホラー映画やテレビ番組も観ない。お化けが怖いことはもちろんだが、とにかく驚くことが嫌なのだ。お化け屋敷も、人が影から突然出てきて驚かない人がいる? と不思議に思う。

でも同じ人間なのか疑わしくなるくらい、肝っ玉の強い人というのはいて、五年ほど前に新入社員のグループで二人組になってお化け屋敷に入ることになった時に、わたしのパートナーになってくれた男の子がそうだった。当時、日本一怖いという形容のついていたお化け屋敷に入ることを、もちろんわたしは拒んだ。場の空気を崩してはいけないと思いつつも、許してくれという気持ちだった。一緒に行った子たちはみんな気持ちのいい子たちで、無理強いをするような子たちでもなく、だからこそわたしも本当に申し訳ないという気持ちになった。その時に、その男の子は「オレは絶対に最後まで驚かないし、ビクともしないから。倉乃ちゃんはオレと入るといい」と堂々と言ってのけたのだ。有無を言わさぬかっこよさと、「大丈夫、絶対に驚かないから」という彼の心強い後押しがあって、わたしは彼の腕を必死で掴みながら地面だけを見て歩いた。そして本当に彼は言葉通り、最後まで一度もビクリともせずにお化け屋敷を出たのだ。言葉通りを実行したその男の子はかっこよかったけれど、ここでは甘酸っぱい思い出を語りたいわけではなくて、わたしは心底彼に感動したということを伝えたい。人間ってここまで驚かないでいられるのだと、自分とは全く違う外界との関係性を持つ彼に憧れた。強いヒーローに憧憬を抱く子供の気持ちに近い。

それにしたって、他人って本当に羨ましい。普段の生活から、だいたいの人のことを、わたしはいいなあと思っている。羨ましいなあと。そして同時に彼らがそう幸せでもないということも知っている。みんな傷の程度はあれど、きっと嫌な思いもしてきている。だけれど、全然それをへいちゃらという顔をしてる人もいるし、ずーんと落ち込んだままの人もいるというだけだ。そこに良し悪しはなくて、ただ自分ではもう少しへいちゃらという風になりたいなと思う。強かであること。それがわたしの人生の理想だ。わたしの願う強かさは、柳の木のようなゆらゆらとしたものだ。風が吹いたら、風に合わせてゆらゆら動いて、でも足場は動かない。けれど、なかなかそううまくはいかない。毎日というほどわたしは泣いていて、周りはそれでもいいよと優しい声をかけてくれるけれど、わたしは人を信じられなくて、そんな自分のことを上手に許せない。